一般2021年05月07日 料理を注文するー意思決定支援ということ(法苑193号) 法苑 執筆者:井上計雄
旅先の見知らぬ街で、ある人と知り合った。─彼女でも彼でもいいのだが、ここでは「彼」としておく。
ベンチに腰かけていると、旅行者であると分かったのであろう、彼が話しかけて来てくれた。普段は人見知りの私も、旅先の不安と気さくな彼の話しぶりに警戒感も湧くこともなく、会話を交わすうちに、彼とは趣味が共通で、なんとなく彼の好き嫌いも感じることができ、彼も私の好き嫌いを感じてくれたように思う。
ちょうど昼時分であったので、美味いランチの店があるので一緒に食事をどうかと誘ってくれ、彼が知っている店に案内してくれた。
瀟洒な建物の一階にある小綺麗な店であるが、客を誘い込むような看板があるわけでもなく、私にはどんな料理を出してくれる店かは分からなかった。
料理を注文するためにメニューを求め、店員が持ってきたメニューを開いたが、私にはその文字が分からなかった。
メニューには、小さく料理の写真も載っていたが、写真からはどのような料理であるかもよく分からなかった。
私が困った顔つきをしているのを察し、彼はメニューの字を読み、どんな料理かを説明してくれた。素材だけではなく、私が食べたことがあるであろう料理とどこが同じでどこが違うかも説明してくれた。
彼の説明のおかげで、概ね料理を理解し、私は何品かの料理を注文することができた。出された料理は私の理解と違わず、私の口に合うものであった。
その後は、食事をしながら趣味の話をし、楽しいひとときを過ごすことができた。
私は、特に障害があるわけでもないし、判断能力が低下しているわけでもない。
しかし、メニューの文字が読めず、どんな料理かも分からなかったので、注文を決めるのに困難を抱えていた。しかし、決められないからといって、店を立ち去るわけにもいかない。
彼は、特別な資格があるわけでもなく、メニューの文字が読め、料理の内容を知っていただけである。そして、私が困っているのを察し、私が注文を決められるように手助けしてくれただけである。
そう。これが意思決定支援ということ。
もし、それでも私がどうしても注文を決められなければ、きっと彼は、私の好き嫌いに配慮して、私の好きそうなものを注文してくれただろう。
********************
「意思決定支援」ということを耳にしたことがあるだろうか。
国連の「障害者の権利に関する条約」(二〇〇六年採択)は、障害があるということで他と異なった扱いをすること(特に不利益な扱い)を否定する。障害のある人が自分では決定できないと決めつけられて他者による決定を押し付けられてきたことの不当性から、条約第一二条は、障害がある人も法的能力を享有することを前提に、その行使に当たって支援がなされることを求めている。これが「意思決定支援」の根拠である。日本は二〇一四年にこの条約を批准しており、障害者基本法(二三条)、障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律(四二条、五一条の二二)や知的障害者福祉法(一五条の三)等において「意思決定の支援に配慮」という文言が規定されている。さらに、「障害福祉サービス等の提供に係る意思決定支援ガイドライン」(二〇一七年)、「認知症の人の日常生活・社会生活における意思決定支援ガイドライン」(二〇一八年)、「意思決定支援を踏まえた後見事務のガイドライン」(二〇二〇年)などのガイドラインも出されている。
しかし、意思決定支援ということは、障害のある人についてのみ求められるものであろうか。
憲法上は、一三条後段の幸福追求権から自己決定権が導き出されると解されており、すべての国民が自己決定権を有することは言うまでもない。この自己決定権を行使するに当たって何らかの困難がある場合には、その困難を乗り越えるための支援が必要となる場合がある。この困難は、機能障害があることに限られない。
人が自己決定するのは、「何か」についてである。その事柄について、様々な情報を取得し、情報を短期記憶し、その情報を比較検討してその中から一つを選択し、選択した結果を表明するということになる。この各過程で何らかの困難があれば支援が必要となる。
例えば、情報取得について、自ら必要な情報を収集できればよいが、それが困難な場合には誰かの支援が必要である。それは、障害があるからではなく、例えば文字が理解できない場合もあれば情報の内容が自らの経験外にあるため理解できない場合もある。先の例は、自分が理解できる文字ではないメニューであったことや書かれている内容が自分の知っているものではないものであったので理解できないという場合である。この場合は、自分で注文を決めるためには、その点の支援が必要となる。
駅で目的地に赴くために切符を買わなければいけないが券売機の前で戸惑っている人がいるとする。切符を買うということについて、自分の目的地がどの駅になるのかが分からないためにどの切符を買えばよいかの決定ができないのであれば、その目的地がどこにあるのか、どの駅で降りればよいのかの情報があれば、どの切符を買うかの決定ができるであろう。
ただ、情報の取得や短期記憶、比較検討、選択、表明の各段階における困難について適切な支援を受けたとしてもどうしても自分で決めることができないこともある。そのような場合、料理店では「彼」が「私はランチにするから、あなたの口にも合うと思うので同じものにしましょう。」と決めてくれるかもしれない。駅では通りがかった人が「それなら〇〇駅で降りるとよいので〇〇駅までの切符を買ってあげましょう。」と決めてくれるかもしれない。これは本人がどうしても決められないときに本人の立場に立って導いた他者による決定(「代行決定」という。)ということになる。─国連の障害者権利委員会は、一切の代行決定を排除するという立場に立つが、どれだけ支援をしても本人が決定できない場合(例えば、遷延性意識障害(─いわゆる「植物状態」)の場合など)もあり得るため、締約国の多くは最終的な場面で本人の最善の利益に適う代行決定は許容されると考えている。
このように考えると、障害のない人と障害のある人との差は、支援が必要となる事柄の範囲や支援の程度の差にすぎないことになる。
意思決定について困難を抱えているかどうかは、特定の事柄について、今本人が自ら決定しなければならないという場面で明らかになる。事柄を特定しないで困難があるかどうかを決めることはできないはずであるし、今決めなくていいことについて意思決定を求める必要はなく、今決定できなくても決定しなければならない時点で決定できればいいはずである。そして、この場合に支援をする人も、本人が意思決定をしなければならない事柄について困難を抱えている場面で、支援ができる人ということになる。
そうすると、障害のある人についてだけ、意思決定支援が必要だというのは、障害のある人を他と区別してはじめから意思決定支援が必要な人と決めつけていることになるのではないだろうか。それはまさに障害者の権利に関する条約の理念に反することになる。
障害のある人だからではなく、障害の有無にかかわらず、必要な人に必要な支援がなされる社会を築かなければならないのであり、現在の意思決定支援を重要と考える取り組みも、それを目指す最初のステップでなければならないと考えている。
(弁護士)
人気記事
人気商品
法苑 全111記事
- 裁判官からみた「良い弁護士」(法苑200号)
- 「継続は力、一生勉強」 という言葉は、私の宝である(法苑200号)
- 増加する空き地・空き家の課題
〜バランスよい不動産の利活用を目指して〜(法苑200号) - 街の獣医師さん(法苑200号)
- 「法苑」と「不易流行」(法苑200号)
- 人口減少社会の到来を食い止める(法苑199号)
- 原子力損害賠償紛争解決センターの軌跡と我が使命(法苑199号)
- 環境カウンセラーの仕事(法苑199号)
- 東京再会一万五千日=山手線沿線定点撮影の記録=(法苑199号)
- 市長としての14年(法苑198号)
- 国際サッカー連盟の サッカー紛争解決室について ― FIFAのDRCについて ―(法苑198号)
- 昨今の自然災害に思う(法苑198号)
- 形式は事物に存在を与える〈Forma dat esse rei.〉(法苑198号)
- 若輩者の矜持(法苑197号)
- 事業承継における弁護士への期待の高まり(法苑197号)
- 大学では今─問われる学校法人のガバナンス(法苑197号)
- 和解についての雑感(法苑197号)
- ある失敗(法苑196号)
- デジタル奮戦記(法苑196号)
- ある税務相談の回答例(法苑196号)
- 「ユマニスム」について(法苑196号)
- 「キャリア権」法制化の提言~日本のより良き未来のために(法苑195号)
- YES!お姐様!(法苑195号)
- ハロウィンには「アケオメ」と言おう!(法苑195号)
- テレビのない生活(法苑195号)
- 仕事(法苑194号)
- デジタル化(主に押印廃止・対面規制の見直し)が許認可業務に与える影響(法苑194号)
- 新型コロナウイルスとワクチン予防接種(法苑194号)
- 男もつらいよ(法苑194号)
- すしと天ぷら(法苑193号)
- きみちゃんの像(法苑193号)
- 料理を注文するー意思決定支援ということ(法苑193号)
- 趣味って何なの?-手段の目的化(法苑193号)
- MS建造又は購入に伴う資金融資とその担保手法について(法苑192号)
- ぶどうから作られるお酒の話(法苑192号)
- 産業医…?(法苑192号)
- 音楽紀行(法苑192号)
- 吾輩はプラグマティストである。(法苑191号)
- 新型コロナウイルス感染症の渦中にて思うこと~流行直後の対応備忘録~(法苑191号)
- WEB会議システムを利用して(法苑191号)
- 交通事故に基づく損害賠償実務と民法、民事執行法、自賠責支払基準改正(法苑191号)
- 畑に一番近い弁護士を目指す(法苑190号)
- 親の子供いじめに対する様々な法的措置(法苑190号)
- 「高座」回顧録(法苑190号)
- 知って得する印紙税の豆知識(法苑189号)
- ベトナム(ハノイ)へ、32期同期会遠征!(法苑189号)
- 相続税の申告業務(法苑189号)
- 人工知能は法律家を駆逐するか?(法苑189号)
- 土地家屋調査士会の業務と調査士会ADRの勧め(法苑189号)
- 「良い倒産」と「悪い倒産」(法苑188号)
- 民事訴訟の三本の矢(法苑188号)
- 那覇地方裁判所周辺のグルメ情報(法苑188号)
- 「契約自由の原則」雑感(法苑188号)
- 弁護士と委員会活動(法苑187号)
- 医療法改正に伴う医療機関の広告規制に関するアウトライン(法苑187号)
- 私の中のBangkok(法苑187号)
- 性能規定と建築基準法(法苑187号)
- 境界にまつわる話あれこれ(法苑186号)
- 弁護士の報酬を巡る紛争(法苑186号)
- 再び大学を卒業して(法苑186号)
- 遺言検索システムについて (法苑186号)
- 会派は弁護士のための生きた学校である(法苑185号)
- 釣りキチ弁護士の釣り連れ草(法苑185号)
- 最近の商業登記法令の改正による渉外商業登記実務への影響(法苑185号)
- 代言人寺村富榮と北洲舎(法苑185号)
- 次世代の用地職員への贈り物(法苑184号)
- 大学では今(法苑184号)
- これは必見!『否定と肯定』から何を学ぶ?(法苑184号)
- 正確でわかりやすい法律を国民に届けるために(法苑184号)
- 大阪地裁高裁味巡り(法苑183号)
- 仮想通貨あれこれ(法苑183号)
- 映画プロデューサー(法苑183号)
- 六法はフリックする時代に。(法苑183号)
- 執筆テーマは「自由」である。(法苑182号)
- 「どっちのコート?」(法苑182号)
- ポプラ?それとも…(法苑182号)
- 「厄年」からの肉体改造(法苑181号)
- 「現場仕事」の思い出(法苑181号)
- 司法修習と研究(法苑181号)
- 区画整理用語辞典、韓国憲法裁判所の大統領罷免決定時の韓国旅行(法苑181号)
- ペットの殺処分がゼロの国はあるのか(法苑180号)
- 料理番は楽し(法苑180号)
- ネット上の権利侵害の回復のこれまでと現在(法苑180号)
- 検事から弁護士へ― 一六年経って(法苑180号)
- マイナンバー雑感(法苑179号)
- 経験から得られる知恵(法苑179号)
- 弁護士・弁護士会の被災者支援―熊本地震に関して―(法苑179号)
- 司法試験の関連判例を学習することの意義(法苑179号)
- 「スポーツ文化」と法律家の果たす役割(法苑178号)
- 「あまのじゃく」雑考(法苑178号)
- 「裁判」という劇薬(法苑178号)
- 大学に戻って考えたこと(法苑178号)
- 生きがいを生み出す「社会システム化」の創新(法苑177号)
- 不惑のチャレンジ(法苑177号)
- タイ・世界遺産を訪ねて(法苑177号)
- 建築の品質確保と建築基準法(法苑177号)
- マイナンバー制度と税理士業務 (法苑176号)
- 夕べは秋と・・・(法苑176号)
- 家事調停への要望-調停委員の意識改革 (法苑176号)
- 「もしもピアノが弾けたなら」(法苑176号)
- 『江戸時代(揺籃期・明暦の大火前後)の幕府と江戸町民の葛藤』(法苑175号)
- 二度の心臓手術(法苑175号)
- 囲碁雑感(法苑175号)
- 法律学に学んだこと~大学時代の講義の思い出~(法苑175号)
- 四半世紀を超えた「渉外司法書士協会」(法苑174号)
- 国際人権条約と個人通報制度(法苑174号)
- 労働基準法第10章寄宿舎規定から ディーセント・ワークへの一考察(法苑174号)
- チーム・デンケン(法苑174号)
- 仕事帰りの居酒屋で思う。(健康が一番の財産)(法苑173号)
- 『フリー・シティズンシップ・クラス(Free Citizenship Class)について』(法苑173号)
- 法律という窓からのながめ(法苑173号)
-
団体向け研修会開催を
ご検討の方へ弁護士会、税理士会、法人会ほか団体の研修会をご検討の際は、是非、新日本法規にご相談ください。講師をはじめ、事業に合わせて最適な研修会を企画・提案いたします。
研修会開催支援サービス
Copyright (C) 2019
SHINNIPPON-HOKI PUBLISHING CO.,LTD.