一般2015年09月01日 夕べは秋と・・・(法苑176号) 法苑 執筆者:田中敦
一 「起」
最近、意外に盛り上がる話題がある。それは、近頃は地球温暖化のせいか、冬と夏とが長く、春と秋が短くなったのではないかということである。また、ここ数年は、猛暑に加え、厳冬、豪雨、豪雪が相次ぎ、「気象台始まって以来」という発表も珍しくなくなり、特別警報という警報も創設された。我が国は、元来、春夏秋冬の四季が明瞭で、独特の詩情があっただけに、最近の異変は、気になるところである。
ところで、四季の見立ては、枕草子が最初であるとされる。有名な第一段は、四季の最も趣のある時を「春はあけぼの」、「夏は夜」、「秋は夕暮れ」、「冬はつとめて(早朝)」と記している。枕草子の斬新さは、初めて事象を「○○の時」という、時間という観点から切り取ったことにあるとされる①。
特に、秋の夕暮れの美しさは、後世の美意識に大きな影響を与え、和歌にも再三詠み込まれた。後鳥羽院が鎌倉時代初期に編纂した新古今和歌集は、王朝文化の美意識の極致・到達点である。収録された約二千首の和歌は、歌題ごとに絶妙に排列され、秋の夕暮れを詠んだ和歌は、一〇首にのぼる。この中で、
「さびしさはその色としもなかりけり
槇立つ山の秋の夕暮れ」(寂蓮法師)
「心なき身にもあはれは知られけり
鴫立つ沢の秋の夕暮れ」(西行法師)
「見わたせば花も紅葉もなかりけり
浦の苫屋の秋の夕暮れ」(藤原定家)
の三首は、秋の夕暮れを代表する三首の和歌、すなわち「三夕の和歌」として、賞賛されてきた。また、寂蓮法師が秋の夕暮れを詠んだ別の和歌である
「村雨の露もまだひぬ槇の葉に
霧立ちのぼる秋の夕暮れ」
は、百人一首に取り入れられている。
二 「承」
ところが、後鳥羽院は、こうした夕暮れの美に関する固定観点を破り、次のような春の夕暮れを和歌に詠まれた。
「見わたせば山本霞む水無瀬川
夕べは秋と何思ひけん」
この和歌(「本和歌」という。)は、後鳥羽院と侍臣が、漢詩と和歌とを合わせて詠んだ折りに「水郷春望」の題で詠まれ、新古今和歌集の「春上巻」に収録された。歌意は、「見渡すと山の麓は霞んで、水無瀬川が流れている。どうして今まで「夕べの趣は秋に限る」と思ったのだろう。春の夕べの趣もすばらしいではないか。」である。現在は水無瀬神宮となっている、元水無瀬離宮から淀川をはさんで東側の、枚方市や八幡市方面の眺めを詠んだものと解されている②。
水無瀬は、大阪府と京都府との境に位置し、木津川、宇治川及び桂川の三河川が合流して淀川となる所で、四季折々の景勝地とされる。後鳥羽院がこの地と離宮をこよなく好まれたことは、歴史書『増鏡』巻一「おどろのした」が「水無瀬といふ所にえもいはずおもしろき院造りして」等と紹介する。しかも、淀川の両岸の狭い区域には、名神高速道路、JR西日本、阪急京都線、西国街道、京阪本線という交通の大動脈が並行している。そのため、特急つばめと新京阪(阪急京都線の前身)特急P6との戦前の競争、東海道新幹線開業に当たり、並行する阪急京都線への影響調査のため、阪急の車両が新幹線軌道上を走行実験したこと、さらには、昭和五〇年頃、国鉄ストの影響で減速していた新幹線車両を阪急特急が追い抜く(筆者の実体験)等、「鉄道ネタ」にも事欠かない。近くには天王山の古戦場、我が国最古のウイスキー工場、モネの睡蓮の画を所蔵する美術館もある。
三 「転」
このように、後鳥羽院の本和歌は、「秋の夕暮れ」という固定観念を打ち破り、「春の夕暮れ」という新しい美の概念を作り出した。なお、本和歌が枕草子以降の美意識及び数々の名歌等を「夕べは秋と」の七文字で象徴していることにも注目されたい。和歌の世界では、「本歌取り」と呼ばれ、藤原定家の「近代秀歌」等、新古今時代の歌論書により、手法や約束事が確立されている。
これは、著名な詩句の一部を和歌や連歌に詠み込む技法である。本歌を象徴する短い語句の中に本歌の情趣が盛り込まれ、歌全体が新たな世界を構築する。本歌を知る一定の知的水準を備えた読者には、本歌を踏まえた新たな美の世界が広がっていく。
本和歌もまた、後世の美意識に大きな影響を及ぼした。ここでは、二つの受容例を取り上げる。
一つは、室町時代の連歌「水無瀬三吟百韻」である。宗祇③は、前記水無瀬神宮に奉納する連歌の発句に、本和歌を本歌とした「雪ながら山もとかすむ夕べかな」を詠み、高弟の肖柏及び宗長がこれに続き、三名で合計百句の連歌を詠んだ。この連歌は、宗祇の代表作と評され、中でも右発句に続く肖柏の脇句「行く水とほく梅にほふさと」及び宗長の「川風に一むら柳春みえて」の三句が有名である。右発句は、本和歌を本歌取りしつつ、情景を春の夕暮れから冬の夕暮れへと転ずることによって、本和歌や枕草子の「冬はつとめて」とも異なる新しい美を創造した。
もう一つが谷崎潤一郎の小説「蘆刈④」である。谷崎は、関東大震災以後移り住んだ関西を舞台に「吉野葛」、「卍」等の一連の作品を発表したが、これもその一つである。秋の夕方、水無瀬を流れる淀川の中洲で、本和歌や後鳥羽院の栄華等を偲ぶ主人公の前に語り手が突然現れ、「蘭(ろう)たけた」風貌の理想の女性「お遊さま」に対する父子二代の憧憬を語り始め、語り終えるや、いつしか消えていたという筋書きである。「蘆刈」は、本和歌とともに、大和物語にある悲恋をモチーフとする。これは、貧窮の余り、妻が都で宮仕えして財をなすとして、難波の夫婦がひとたび別れ、数年後再会したが、妻は再婚して富貴となった一方、夫はさらに零落し、蘆を刈って生計を立てていた。そこで、夫が妻に対し、
「君なくてあしかりけりと思ふにも
いとど難波の浦ぞ住み憂き」
と詠んだ(「あしかり」が「悪しかり」と「蘆刈」との掛詞となる)という物語で、後年世阿弥が能「蘆刈」で取り上げている。
こうして文学に思いを馳せつつ、ふと手元を見ると、陪席裁判官が起案した民事控訴審判決起案の手直しを行っているという現実がある。ご承知のとおり、民事控訴審判決は、民訴規則一八四条により一審の判決書等を引用することができる。これが、「原判決三頁一二行目の「○」を「△」と改め、後記3の控訴人の当審主張に対する判断を付加する他は、原判決四頁一〇行目から一四頁五行目までのとおりであるから、これを引用する。」等の引用記載である。控訴審判決だけを読んでも一向に分からないとして、はなはだ評判がよろしくない。控訴審裁判官としては、原判決の引用とともに、適宜の説明をも加え、控訴審判決を見ただけでも、できる限り理解できるよう、記載の在り方を工夫し、日々起案に辛吟している。こうした姿だけは、歌人に似ていなくもない。
四 「結」
日頃文章の正確性を要求され、ときには、「分かりにくい控訴審判決」などのお叱りを受けていると、柄にもなく四季の美や雅の世界にあこがれてしまう。話を地球温暖化に戻すと、いずれは、「五月の海遊び」、「師走の紅葉」等の新たな美が生み出されるのであろうか。案外、それも新鮮かも知れない。
以上、地球温暖化に始まり、季節感、鉄道ネタ、文学、さらには民事控訴審判決等と、話題が転々としてしまった。せめて、水無瀬の風景や文学作品の雅な雰囲気だけでも味わっていただければ幸いである。
注①山口仲美『100分de名著清少納言枕草子』(NHK出版)二六頁
②本和歌や新古今集掲載の和歌などは、久保田淳『新古今和歌集全評釈』(講談社)第一巻及び第二巻、後鳥羽院は、これに加え、丸谷才一
『日本詩人選 10後鳥羽院』(筑摩書房)を参照した。
③宗祇については、小西甚一『日本詩人選 16宗祇』(筑摩書房)を参照した。
④蘆刈については岩波文庫「吉野葛・蘆刈」を参照した。
(大阪高等裁判所判事)
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