一般2016年05月04日 大学に戻って考えたこと(法苑178号) 法苑 執筆者:佐々木茂美
平成二五年三月、三九年の裁判官生活を終えて、四月から京都大学大学院法学研究科に籍を置くことになりました。私がこの大学の法学部に入学したのは昭和四二年四月のことですので、それから四〇数年を経て再び大学に通うことになりました。往時は大学紛争の渦中で、東大路通や百万遍交差点、大学正門辺りは、立て看板が林立し、喧噪のるつぼにありましたが、その合間を縫って友と白熱の議論を交わした日々を懐かしく想い起こします。時を隔て、現在の大学の構内外には、図書館で勉学に励む学生のほか、見学に訪れた中高生とその保護者、さらにはのんびりと散策を楽しむ高齢者の方々も見受けられます。また、百周年記念時計台の下には、モダンな大学の歴史展示室、グルメに評判のレストランや喫茶室、オリジナル大学グッズの販売ショップが設けられ、法経本館に通じる中庭では、学生がベンチや芝生で読書したり、友と語り合ったりしていて、穏やかな空気が流れています。
さて、大学に戻るに当たって、何を目標にしようかと思い巡らし、裁判官時代にし残していたことに改めてトライするとともに、少し新しいことに取り組んでみようと考えました。
一つ目の目標は、私が法科大学院で担当することになった「民事訴訟実務の基礎」と「民事裁判演習」に関係することです。前者は、要件事実と事実認定の基礎理論を、後者は、民事手続も絡めた動態的な訴訟運営の在り方をそれぞれ掘り下げようとする科目です。私自身、民事裁判教官として四年、所長として一年六か月、司法研修所に在籍したときに、これらの分野における実務教育の構想や教材作成に深く関わっていたこともあって、この課題に再びチャレンジする機会を与えられたことをとてもうれしく思いました。最も重要な視点は、本学の実体法・手続法の研究者による学問上の成果を出来る限り取り入れ、これらが実際の具体的な問題を解決する場面で、どのような役割・機能を果たすかを受講生に示すことにあると考えます。そのためにやるべきことは、教材の改訂、講義の再構築等、多方面に及びますが、これは、昔取った杵柄の延長線にあるところといえますので、理論と実務の架橋という法科大学院創設の理念に則り、目下のところ順調に進んでいるのではないかと思っています。
もう一つの目標の方は、昔の教養課程に関係することです。奇しくも私が教員として大学に戻った平成二五年四月、大学では、教養・全学共通教育を実施する国際高等教育院という組織が立ち上げられ、教育全体の企画及び運営を一元的に統括することになりました。教養・全学共通教育は、学部教育と併せて幅広い分野に共通する基礎的な知識を教授し、学生に高度な学術文化に触れる機会を付与する教育課程として位置付けられています。私自身は、この課程に属する科目として、平成二五年度後期から主に一、二回生対象の「民事裁判基礎ゼミナール」を、さらに昨年度前期からは一回生限定の少人数セミナーも担当することになりました。
前者の基礎ゼミでは、民法や民事訴訟法の理論を踏まえて、民事裁判の現況について理解を深めてもらうことを目的としており、基本的な事例課題にどのようなアプローチで臨むかを考察する能力と、最終的には模擬裁判において修得した法的知識の定着度を検証し、併せてプレゼンテーション能力の涵養も図ることにしました。実際の授業では、売買、貸金、交通事故損害賠償請求事件の三類型の訴状・答弁書・準備書面を順次交付し、訴訟の提起、第一回口頭弁論期日、争点整理の各プロセスに応じて課題と解決方法を自由に討議する形で進めました。ゼミ生には、法学部生もいますが、理系学部生が多く、例えば、原告が訴状、被告が争う旨の答弁書を提出しながら、どちらも第一回期日に出頭しないという場面では、「そんなの裁判官だけでかわいそうやから、裁判やめてしもていいのとちがいますか。」との意見が出る一方、「何か事情があったのかもしれないから、一回待ってあげるのがいいと考えます。」という意見も出て、議論が弾み、とても新鮮で瑞々しい感覚に満ちていると感じました。もちろん、それぞれの立論に何らかの法的根拠があるかどうかを詰めていくことにしています。模擬裁判では、ゼミ生の希望に応じて裁判官、原告代理人、被告代理人、原告・被告各本人、証人と配役を決めた上、法科大学院の模擬法廷で法服も着用して実戦さながらの交互尋問を実施しましたが、それぞれが役に成りきって熱演し、アドリブも入って愉快なものとなりました。特に、理学部の男子学生が被告代理人役を堂々とした態度で務め、反対尋問が実に的を射たものであったこと、理学部の女子学生が証人(被告の妻)役を実に哀れを誘う風情で演じたこと等が印象的でした。もっとも、このような授業は、ゼミ生に他学部生が多いというだけで、新しい試みとはいえないのかもしれません。
一方、後者の一回生限定のセミナーをどう設定するかには、はなはだ悩みましたが、科目名を「民事紛争解決のプラクティス」として立ち上げることにしました。授業は、二部構成として、第一部では、まず最初に、ゼミ生から、実際に遭遇したトラブルを挙げてもらいます。その多くは、身の回りの隣人間の揉め事や交通事故といった生活空間の中での事件になりましたが、それを端緒として、しばしば報道されている学校事故や職場での労働問題、企業間の紛争、金融トラブル、建築瑕疵、薬害、医療過誤といった多種多様なトラブルに話を進めました。これら紛争は、その時代、社会、世相を反映しているものですから、ゼミ生には、例えば、少子高齢化や地域社会の機能低下といった我が国特有の構造変化やグローバル化、情報通信技術の進展に伴う経済社会状況の変化といった諸問題にも踏み込んで議論してもらいました。その上で、我が国で、現在、このような民事紛争を解決する基本的な手段・システムとして用意されているADR(裁判外紛争解決手続)、裁判所の調停、訴訟についてそれぞれの基本的な枠組みや、その長短を含む特質を理解してもらった上で、先に挙げられた紛争類型にどの解決システムがフィットするかを討議し、レポートにまとめてもらいました。第二部では、現実に生起する個別的な紛争を解決するために法律がどのような武器となるかを考えてもらうことにしました。法律は、古代ローマの昔から、人々や団体等が紛争に巻き込まれた際、これを解決するための道具として広く活用されてきたことなどを語った上で、このような歴史と人々の叡智の産物である法的枠組みを利用して、紛争を権利義務の関係として把握する試みを実際に行ってもらいました。実は、基本的な紛争類型として取り上げる売買代金、貸金返還、借地借家の明渡し、交通事故を巡る事例は、法科大学院の演習事例を簡略化したものであり、その分析道具も、法律要件と法律効果といった基礎的な法的理論に依拠していますので、他学部生が半数以上を占める一回生にふさわしいかどうか、内心冷や冷やしながら、授業を進めました。実際には、医学部、機械工学、建築工学、情報工学、理学部、そして経済学部生などがきちんとレジュメを予習し、文献にも目を通して課題をこなし、レポートも法学部生顔負けの質の高いものを提出してくれたのには驚きました。全授業終了後のフィードバックと称する研究室での感想・質問コーナーでも、彼らから、「法的思考というものが、意外に論理性が高いものであることに驚いた。」、「法的枠組みを押さえながら、事例を解析するところが楽しかった。」、「医療過誤や建築瑕疵といった所属学部に対応する現代型紛争も取り上げたところが良かった。」という感想が出され、「次年度も、ゼミ生の所属学部に応じてITや経済紛争も取り上げれば面白いですよ。」とのアドバイスをもらいました。このセミナーは、受験を終えて入学してきたばかりの者に対してどのように対応すればよいか全く分からないまま準備していただけに、ゼミ生の温かい受け止め方にほっとした次第です。と同時に、受講してくれるゼミ生と共に学びながら、少しでも新しいところを目指す喜びを私に教えてくれたように思います。
さて、先日、奈良西の京にある薬師寺を訪ねました。国宝の東塔や数々の仏像を納めた金堂のある白鳳伽藍の北側に位置する礼門を入ったところに玄奘塔という玄奘三蔵のご頂骨を真身舎利として奉安している二層の建造物がありますが、その正面には「不東」と記された額が掲げられています。玄奘三蔵が六二九年に唐の都長安から陸路インドのナーランダー寺院等を目指し、求仏に旅立たれたときの決意、道を究めるまでは東に戻ることなしとの激しい気迫がその二文字に込められています。これを仰ぎ見たとき、共に学んでくれた若者達がそれぞれこの額に示された学生(がくしょう)の途をしっかりと歩んでくれることを切に願うとともに、江戸末期の儒学者の著書にある「老いて学べば、則ち死して朽ちず。」でありたいとの感を強くした次第です。
(京都大学大学院法学研究科教授)
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