一般2022年01月11日 YES!お姐様!(法苑195号) 法苑 執筆者:安田朋江
1 はじめに
弁護士登録初日、お世話になっていた先輩弁護士にご挨拶すると、先輩弁護士は開口一番「事務員さんの言うことをよく聞きなさい。事務員さんを大切にしなさい。事務員さんに嫌われてはいけない。事務員さんは新人弁護士よりもずっと仕事ができます。」と仰いました。
事務員さんに努々(ゆめゆめ)逆らうことなかれ。
今となっては多分そういう意味ではなかったと思うのですが、登録初日のひな鳥のような私にとって、先輩弁護士のアドバイスは少々大げさに刷り込まれました。
私が入所した当時、所長は既に弁護士歴四〇年以上の大ベテランで、所長の言葉を借りると「弁護士としてのDNAを遺したい」という気持ちから、私を後継者として入所させたのでした。
所長が亡くなったのは、私が弁護士登録してから七年目の冬のことです。亡くなる二ヶ月前から自宅執務と称して事実上引退していたとはいえ、所長と私そして事務員の三人で過ごしていた事務所は急に寒くなってしまったようでした。
七年間は長いようですが、私が二度の出産で約二年間執務から離脱していたことと、所長が引退に向けて二、三年をかけて担当する事件数を減らしていったことを考えると、実質所長に側仕えできた期間は短かったように感じます。好々爺で温厚な所長でしたが、所長亡き後かつてを知る方々から昔は武闘派だったと聞き及び、意外に思いました。しかし、所長の言葉の端々に武士道を感じることがありましたので、さもありなんと納得するところです。全盛期の所長を知ることなく惜別を迎えたことは残念でなりません。
所長のことだけで規定文字数を超過しそうですが今回は割愛し、所長亡き後に残された私が事務員の掌上に運らされて業務に邁進する様子をご紹介しようと思います。
2 お姐様
まず、弊所事務員は行政書士の資格を持つ立派な法律家です。法律事務所の事務員として雇用されつつ、個人事業主として行政書士の業務も行っています。事務員と呼ぶのはもはやその格に見合わないので、ここではお姐様(ねえさま)と呼ぶことにします。誤解のないように付言すると、普段そのような呼び方はしていません。
お姐様は私より少し年上の女性で、私が入所する一年ほど前に事務員として所長に雇用されました。前職はアパレル会社勤務であり、一度会った人の顔と名前を覚えてしまう驚異的な記憶力を持っています。入所するや四〇有余年分の所長の全事件を把握したことや、所長の葬儀の際には受付係を務めながら弔問客それぞれの氏名・役職・所長との交流歴・供花等の有無を傍らに立つ私に耳打ちし、然るべき挨拶を促していたことは、お姐様の事務員としての有能ぶりをおわかりいただけるエピソードだと思います。
所長の勧めで全く畑違いの行政書士試験を突破すると、持ち前の社交性とお節介を厭わないボランティア精神でぐんぐん人脈を広げ、登録年数の浅い時期から行政書士会の会務を任されるようになっていました。
あくまで個人の見解ですが、弁護士にとって行政書士ほど使い勝手の良い法律家はいません。行政書士は官公庁に対する許認可申請が独占業務ということもあり、企業法務を扱う弁護士と行政書士の相性は抜群です。それが事務所内で事務員を兼務しているとなると、所属弁護士の業務内容を全て把握しているので、行政書士独自の視点から弁護士の気づかない官公庁の手続に関係する問題を指摘してくれることがあります。
このように、お姐様の守備範囲は事務的・法的なものから似合う服装のアドバイスまで幅広く、所長をして「何でもできる」と言わしめました。
3 所長の相続処理
所長が亡くなると、私は所長の奥様から相続手続を依頼されました。遺言書は下書きが数通見つかったものの、公正証書遺言や自筆証書遺言としての形式を備えたものはなく、遺産分割協議書が必要な状態でした。
幸いにして紛争性はなく、相続手続としては私が遺産分割協議書を作成し、司法書士が不動産の相続登記をし、税理士が相続税申告をする流れになりました。司法書士も税理士も生前の所長となじみ深い関係であった方々です。
遺産分割協議書は司法書士が作成することもできますし、相続登記も遺産分割協議に関わる限りで弁護士が行うこともできます。ですから、この件に関わる専門家を減らすこともできました。しかし、所長に所縁のある気心の知れた三士業が揃って所長の相続手続に当たれるのは僥倖なことだと思えました。
それぞれが自分の仕事に取りかかっていたとき、所長の奥様から読みにくい書類があるので助けて貰いたい旨連絡がありました。
それは、市町村からの書類や保険関係、様々な名義変更の書類でした。開封済の封筒が数通、各封筒には数枚の説明書と記載用紙が入っていました。説明書の文字は豆のように細かく、記載用紙には印刷の指示に加えて手書きの指示メモがついているものもありました。奥様の年齢や自身の配偶者を亡くしたばかりという状況では、このような書類は見るのも億劫だったことでしょう。
すると、これを見たお姐様が半ば反射的に「こちらでやりましょうか?」と言い出し、驚く私を後目に立て続けに「ついでに銀行の処理もやりましょうか?」と提案したのです。
私は相続事件の委任を受けても、紛争性があり且つ特に必要のある場合を除いて被相続人の金融機関口座の解約手続を積極的に買って出ることはしてきませんでした。口座解約は依頼者自身ができる手続であることや、場合によっては多額の金銭を預かることになるからです。まして保険や市町村関係の手続は弁護士の取り扱う相続業務に無関係で、依頼者もそれを分かっているため、弁護士がそれを頼まれる機会自体がありません。
事務員さんに努々逆らうことなかれ。
YES!お姐様!
こうして行政書士を加えた我々四士業は相続手続を進めていくことになりました。お姐様の行政書士としての主な業務は金融機関口座の解約とその他一切の雑務です。
必要な資料は共通することが多いため、どの順番に手続を進めるか、どの資料を誰が持っているか、次は誰に回すのかという全体の進行役を担ったのはお姐様でした。そして、依頼者の対応窓口を一つ(この場合はお姐様)にして、司法書士も税理士も原則弊所で打ち合わせをし、各士業の打ち合わせの内容を全てお姐様が把握しました。
このようなやり方は資料の無駄がなく、また、それぞれ着手可能な業務から処理していくので時間の無駄もありませんでした。
見事な分業と連携が実現したのは、お姐様が依頼者対応と各士業の担当業務を管理する現場監督をしていたからに他なりません。
4 士業連携と事件処理チーム
士業連携という単語は弁護士業界でも意識されていますが、せいぜい登記のための判決等文案チェックや、事前の税額概算をしてもらう程度で、事件処理が終われば成果物である判決等の資料と一緒に「次は司法書士さんと税理士さんのところへ行ってくださいね」と連絡先を渡して事件を手放します。これが私の士業連携でした。事件終結後、依頼者が登記や納税を無事にできたかは、私の与り知らぬところです。
士業は原則依頼者と直接委任契約しなければならないため、複数の士業が関わる場合は、依頼者の方が士業の事務所を回る形態になりがちで、他士業同士お互いの仕事の進捗に関与しないものです。
考えてみれば、依頼者にとってこと相続手続に関しては、被相続人の死に端を発する一連の手続です。複数の士業が関わるにしても窓口を一カ所にした方が依頼者にとり便宜に違いありません。複数の士業の業務と依頼者対応を一カ所で管理するやり方は、連携というよりチームです。
ところで、お姐様は何も所長の相続手続がチームとして初めての仕事というわけではありません。宗教法人関連の案件を司法書士・土地家屋調査士・行政書士・税理士のチームで処理した経験がありました。
「チーム宗教法人」の取り扱う案件は紛争性がなく、お姐様は気心の知れた士業同士で密に連絡を取り合って、穏やかに朗らかに事件処理をしていました。紛争性がないと弁護士に出番はありません。弁護士は刀を持って後方に控える用心棒のような立ち位置です。もちろん、一度(ひとたび)紛争になれば依頼者のために切った張ったを演じるのは弁護士以外になく、私がこうした役目を担っていることに不服はありません。
ただ、各々が持てる力を出し合い協力して活躍する「チーム宗教法人」は、私がたった一人で刀を振るう殺伐とした世界とは全く異なる平和な世界に見えています。いいなぁ、楽しそう・・・。艶羨は募るばかりです。
所長の件が終結した後も、私は事あるごとに「あれはいい仕事だった。」とお姐様にこぼし続けました。
弁護士がチームで仕事をするには、今回のような紛争性のない相続手続が最も適切ではないか。いや、生前の遺言書作成から関与すれば、相続手続時の紛争を減らすことができる。しかし、弁護士として関与し続けることは難しい。さて、どうしたものか。
色々調べてみるうちに、法律事務所が相続関係手続一式を引き受ける法人を擁している例に行き当たりました。
法人を設立する。それは途方もないことのように思えました。
私がお姐様に「そんな大それた事は私にはできそうにない」と言いかけると、お姐様は私の「そ」の声を遮って言い放ちました。
「いいですね、法人。一度作ってみたかったんです。」
事務員さんに努々逆らうことなかれ。
YES!お姐様!
5 ホスピタリティ
相続事件を専門に扱う法人を設立してからというもの、お姐様は相続診断士の資格を取得し、以前にも増して積極的に士業交流会や勉強会等の場に出ていくようになりました。そして、これぞという人に法人の話をし、「うちには弁護士がいますから、最終的に揉めても大丈夫なんです。」と営業していたのです。
なんだか最近事件が増えたと思ったのは気のせいではありませんでした。
チームで相続業務をしていると、最も業務量が多いのは行政書士でした。法定相続情報一覧図を作成するための戸籍収集から始まり、「遺産分割協議書作成」「相続税申告」というような名前のある業務以外の雑務的な業務を一手に引き受けることになるからです。
極端なことを言えば、行政書士は書類さえ作成できれば何でも業務にできるので、業務と認識されていないような事柄も業務として扱うことができます。このことは依頼者のニーズを適切に把握する高度なホスピタリティが要求されるということです。
例えば、人が死亡したときには金融機関に死亡通知をすると、死亡した人の当該口座が凍結されることは一般に知られていることです。ところが、口座凍結されると固定費の引き落としができなくなったり、年金や保険金や配当金の入金先がなくなったりしてしまうので、相続人はこの通知に二の足を踏むようです。豆のような漢字だらけの書類を読んで、なんだか立派そうな会社へ何社も口座変更の連絡をするのは気力が必要です。
その上、先述のような名前のある業務は依頼すべき適切な士業が明らかであるのに、このようなことは誰に頼めばよいか皆目見当もつかないのです。ですから、お節介を厭わずそのような手続の代行を申し出ると、一も二もなく喜ばれました。
こうなってくると業務になるか否かはもう考えず、依頼者の困りごとに積極的に介入していこうという謎の使命感に駆られる私です。とある依頼者がこれまでの生活に見合わないほどの遺産を手にすることになった事件では、依頼者が身を持ち崩さないか心配になり、お姐様の人脈を頼ってファイナンシャルプランナーに面談してもらったことがありました。完全なお節介ですが依頼者には喜ばれました。
このように、必要があれば他業種をも頼るというのは私にとって新鮮な経験で、自分に不足していたのはホスピタリティだと自覚するところです。
6 おわりに
本稿執筆のお話をいただいた際、新日本法規出版の担当者から、内容は自由であるものの、業務に関すること、私であればとりわけ相続に関することが良いのではないかとアドバイスをいただきました。
実際執筆してみると、完成原稿は堅く重たい論文の様相で、何より全く面白くありませんでした。それならば、と日頃から私が「うちの事務員さんがすごいんです」と周囲に触れ回っている内容を勢いに任せてそれとなく入れ込んでみると、「それとなく」どころではない本稿が完成しました。
当初予定していた内容はほとんど書けませんでしたが、結果的に伝統ある新日本法規出版の全国配布冊子で弊所事務員を全面的に自慢する形となったことは感無量の極みです。
(弁護士)
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