一般2022年05月10日 「ユマニスム」について(法苑196号) 法苑 執筆者:髙橋謙一
大江健三郎の師が紹介したユマニスム
大江健三郎のファンの間では有名な逸話であるが、彼は高校生の時、一冊の本に感銘を受け、この著者の下で学びたいと東大文学部(仏文科)を目指した。彼の運命を決定づけた本とは、渡辺一夫著『フランス・ルネサンス断章』(岩波新書)で、ルネサンス期のフランスの九人のユマニストの活動を通じて、ユマニスムを紹介している。この本は現在、三人が追加された増補版『フランス・ルネサンスの人々』(岩波文庫)として入手できる(大江の解説がついている。)。ただし、ユマニスムについては、『ヒューマニズム考』(講談社文芸文庫)の方がより平易で分かりやすい。
「ユマニスム」は、英語で書くと「humanism」で、一般には「人間主義」「人本主義」あるいは「人文主義」などと訳されている(なお、日本ではhumanismを「人道主義」「博愛主義」の意味で使いがちだが、それに該当する英単語はhumanitarianismであり、少し違う。)。ただ、「ユマニスム」をこう訳しても、これだけでは、「どうやら人間中心主義のことらしい」という見当は付くものの、その内実は分かりづらい。
ユマニスム・ユマニストとは
ルネサンス期、教会が形骸化して、神学本来の目的から外れて人々の信仰や思想さらには生活までも不当に制約していると感じた人々が、「それ(現在の制度、儀式、慣習等)は神(の信仰)と何の関係があるのか」との疑問を問いかけ、それが宗教改革につながった。その懐疑心はさらに「それが人間と何の関係があるのか」という意識につながり、「人間の作ったものがその本来の目的を外れて歪んで使用されて人間の自由を束縛すること」を指摘する態度に発展した。それが「ユマニスム」である。渡辺はこれを、「人間が自分で作ったものの奴隷にならぬように、歪んだものを正常な姿に戻すために、常に自由検討の精神を働かせて根本の精神を尋ね続けること」と説明している。
例えば外科医アンブロワーズ・パレ。身分の貴賤を問わず多数の人々に手術を施し、国王にまで施術した。彼が正式な医学を学んでいない外科医(理髪師でもある)のため、その手術方法についてパリ大学医学部などから激しい非難を受けたが「それ(大学の知識)が手術の成功と何の関係があるのか」と気に留めなかった。
スイスでの宗教改革で名高いカルヴァン。教会の形骸化に対して、異議を唱え、その結果、激しい弾圧を受けたが、それに屈することなく、「寛容の精神こそ必要」と訴え続けた。ところがいわゆるカルヴァン派の勢力が強くなるにつれ、その組織を維持・拡大するために、カルヴァン自身が「神の意志」の名のもとに内部の反対派を粛正していく。その過程で、ある意味カルヴァン以上に徹底した宗教改革者であったミシェル・セルヴェを火あぶりにし、そのことを弟子のセバスチヤン・カステリヨンに「寛容になるべきだ」と非難される(両名ともユマニストとして前掲書で紹介されている。)。渡辺は、カルヴァンが高い理想と強い信念を持っていたことは間違いないが、人間を救い、人間悪・社会悪を是正するには、それだけでは足りず、「もっと深い忍苦と、もっと痛ましいほどの反省と、もっと強い懐疑」が必要であり、カルヴァンの悲劇は「人間そのものの悲劇」だと訴えている。
「ユマニスム」とは、「人間がより発展していくための手段として作ったはずの思想・宗教・法・制度・慣習・物(以下「道具類」という。)が、その目的を逸脱して人の発展と自由を阻害しているのではないかと、常に疑い続ける精神」であり、「ユマニスト」とは、その精神を持っており、かつ「それを外(世間・社会)に指摘する人」のことと、私は理解している。
ユマニストたる弁護士たち
さて、「ユマニスム」「ユマニスト」をそのように理解すると、弁護士会にはユマニストと目される人が多い気がする。例えば現在当たり前のように運用されている「被疑者国選弁護人制度」。その源泉は一九九〇年頃に大分県・福岡県で始まった「当番弁護士」にある。この「当番弁護士」も今や適正な刑事弁護手続に必須な制度と受け止められていると思うが、私が所属する福岡県でこの制度を設けようとした際には少なからぬ反対があった。特に多くの弁護士の「心の隙間」に侵入した意見が「無辜の市民救済はともかく、ヤクザや極悪非道の殺人犯、あるいは常習的薬物事犯を、なぜ、弁護士が手弁当で援助する必要があるのか」というものであった。しかし、導入を推進する弁護士らは「彼らも等しく適正な刑事弁護手続を受ける権利がある。それ(被疑者の属性)が、被疑者の権利擁護と何の関係があるのか」と強く反論し、結局その意見が県弁会員の多数に受け入れられ、当番弁護士制度が発足した。そしてその精神が広く国民の支持を受け、前記の通り被疑者国選弁護人制度へとつながっている。
もう一つ、同じころに福岡で起こった有名な裁判がある。いわゆる「セクハラ訴訟」である。この訴訟もまた「仕事を円滑に行うためには、『女性的配慮・対応』は不可欠である」という当時の社会風潮に対して「それが女性の仕事能力と何の関係があるのだ」という懐疑精神に基づくものである。この訴訟の結果(と私は評価するが)、現在「セクシャル・ハラスメント」という言葉を知らない人はいなくなった。しかしこの訴訟が起こされた時、国民はおろかほとんどの弁護士は、この言葉を知らなかった。のみならず、「このような訴訟を提起したくらいで、社会は何も変わらない」という消極的批判も少なくなかったし、恥ずかしながら、私もそう考えていた。実際、この訴訟が、男性優位主義の社会の中でいかに逆風を浴びながら追行されたかについては、代理人となった女性弁護士や被害者自身が多くの場で発信しているので、ご存知の方も多いであろう。
しかし、制度を疑って声を上げた被害者と弁護士によって、確かに、社会は変わったのである。
このように、その当時の社会で「当然の存在」とみなされていた「道具類」に対して、それが「人間の発展や自由を阻害している」と認識し、そのことを問いかけた裁判は、生活保護に対する朝日訴訟、学問の自由に対する家永訴訟、高度成長社会に対する公害訴訟、SDGs達成のための各種環境訴訟、国民主権確保のための「一票の格差訴訟」等々枚挙に暇がない。私は、これらの訴訟にかかわっている方々の中に、ユマニスムの発露を見て取るし、一部の方々に対してはユマニストと称賛したい気持ちがある。
弁護士に期待するユマニスム
もっとも私は、弁護士に対して「だからユマニストになれ」とアジる意思は毛頭ない。そもそも私自身が、ユマニストになんかとてもなれないと自認している。渡辺も指摘しているが、その時代の支配的風潮に対して、それが誤っていると公言することは、それ自体、極めて大変なことである。しかもユマニストたるには前記のように「信念」だけでは足りず、「深い忍苦と痛ましいほどの反省」も必要であり、それに欠けると、カルヴァンのように、自分が他人の発展と自由を阻害する側に回ってしまう。現代的にはアナキン・スカイウォーカーとダース・ベイダーを彷彿させる関係で、一般の人間がなかなかなれるものではない。
私が今回、ユマニスムを紹介したのは、弁護士たるもの、以下の二点が不可欠ではないかと考えているからである。
第一点は、言うまでもなく、ユマニスムの精神を身につけることである。自己が所属する社会・集団において、「道具類」に対して、それは何のために存在しているのか、それが本来の目的を逸脱して人の発展や自由を(弁護士的に表現するならば「人権」を)侵害しているのではないか、と常に懐疑する精神を持つことは、「基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」弁護士にとって不可欠のことだろう。
第二点は、ユマニストにはならなくてもよい、でもユマニストの発信をきちんと受け止める、という意識を持つことである。歴史上のユマニストの多くは、結局その時代での改革に失敗しており、中には命を失ったものもいる。それは当時の多くの人間が、ユマニストの指摘を無視し、むしろ弾圧したからである。しかしのちの歴史において、その指摘が正しく、その通りに社会が改革されている。そういう歴史を踏まえて現代に生きる私たちは、ユマニストの正しい指摘をきちんと受け取る必要がある。ただし、「○○が人権侵害をしている」と指摘する人がすべてユマニストとは限らない。そこは「玉石混交」である。したがって、現在の「道具類」による人権侵害を指摘する声について、それが適切な指摘であるかどうか判断し、適切な指摘に対しては支持・援助、少なくとも阻害しない(例えば、前記当番弁護士制度導入時の福岡県弁護士会会員の対応)とともに、明らかに不適切と思われるものに対しては、人々に、惑わされないように指摘する役割を担う者が必要となる。私は、日常的に対立する意見を聞きながら紛争の解決に従事している弁護士こそ、その能力を最も有していると考える。
結 語
以上の想いから、今日ユマニスムを紹介させていただいた。もちろん、ユマニスムが現実の社会変革にどの程度有効かは分からない。多分懐疑派が多いであろう。しかし渡辺が紹介するセナンクゥールの次の言葉が、私の胸を打つ。
「人間は滅び得るものだ。そうかもしれない。しかし、抵抗しながら滅びよう。」
私もかく生きたい。
(弁護士)
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