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一般2016年05月04日 「裁判」という劇薬(法苑178号) 法苑 執筆者:影浦直人

 裁判は私にとってある意味劇薬のようなものだと思う。裁判官にとって裁判をすることは非常に大きな苦痛を伴うものである。裁判を提起した当事者は、人生の一大事に直面していることから、提出可能なあらゆる資料を提出してくる。裁判官は、それらの資料に目を通し、なおかつ、当事者の声に耳を傾けて、真実が何であるかを暗闇の中で一点の光を探し求めるかのように悩み苦しむのである。このような苦痛を伴う作業であるにもかかわらず、裁判官は全国の裁判所で今も裁判をしている。その理由はどこにあるのだろうか。
 裁判官は、一般の人にとって出会う機会の少ない存在であることからか、「裁判官、検察官、弁護士の中で、なぜ裁判官を選んだのか?」という質問を受けることが多いと思う。その時には、私が知る限りでは「何にも拘束されず、自分の考えで妥当と信じる判断ができるから」という答えが一番多いようである。ちなみに私もこのように答えている。この答えによれば、先の疑問に対する回答は、当事者の主張や提出された証拠によって、自らが真実であると判断できたストーリーを書面(判決)にすることで、一定の満足感を得ることができるから、などとなりそうである。しかし、私が裁判官になり、判決を書くようになってからは、私にとって判決を書くことは、その判断が正しいのか不安となり、苦しみはじめるきっかけとなるにすぎないものとなっている。
 私が今も裁判を続けている理由は、判決作成によって満足感を得られるからではなく、和解手続によって達成感を得られることが大きい。裁判における和解手続というのは、そもそもが判決以上に非常に難しいものである。例えば、原告が被告に一千万円の損害賠償を請求している事件で、裁判所が五百万円の賠償が妥当であると判断すれば、理由を付した上で、五百万円の支払を命じる判決を作成するだけのことである。これに対し、和解手続においては、当事者双方に五百万円という和解を提案すれば、原告からは「少なすぎる」、被告からは「高すぎる」との返答が予想される。具体的には、原告からは「少なくとも八百万円は欲しい」、被告からは「五〇万円までなら支払う」などといった提案があり、およそ、すり合わせが難しいという場合に直面する。このような場合、一般的な和解のイメージは以下のとおりである。まず、裁判所は、当事者双方に「裁判所が判決で認容することを考えている金額は五百万円であるから、和解金額としては五百万円が妥当である」と伝える。そして、原告には、控訴審で裁判所の判断が変更される可能性があること、任意に入金されることで執行が不要となること、紛争が早期に解決できるメリットがあることなどを伝え、一方で、被告には、元金のみの支払であり、判決の場合に通常付される年五分の遅延損害金の支払がないことにより、判決と比べて支払額が少なくて済むというメリットがあることなどを伝え、和解をすすめることが一般的であると思う。ただし、このような形でスムーズに和解が成立することがそう多くはないことは裁判官ならば誰でも知っていることである。言うまでもなく、そのネックとなるのは、前記の「裁判所が判決で認容することを考えている金額が五百万円である」ことに納得が得られないことである。そして、それ以上に和解の障害になることがあるのは、一方当事者の相手方への感情である。
 訴訟を提起した当事者間には、背景事情として複雑な事情(恨み、つらみ、周辺問題に関する利害関係等)があることが多い。私は、それらについて「本件とは直接関係がない」とするのではなく、真摯に耳を傾け、当事者双方が何に固執しているのか、何に苦しんでいるのかを探り、事件との関係でどのような解決方法が妥当かを当事者と共に考えたいと思っている。例えば、通常考えられる解決方法(金銭の支払や目的物の明渡し等)の他に適当な方法(相手方への謝罪や新たな契約の締結など)がないかを考えるのである。そして、最後の山場は何と言っても本体部分の請求の当否(金銭請求であれば支払額)である。当事者が不満に思っているのは、多くの場合、相手方の主張の中に嘘をついている点があるということである。民事事件では、当事者の一方が嘘をついていることは多い(例えば、貸金返還請求訴訟において、一方は「貸している」、他方は「借りていない」というのであるから当たり前である。)。そして、双方ともに嘘をついている点があることが実際には結構多いのである。その嘘が訴訟の勝敗に直結しなかったとしても、当事者にとって、相手方に嘘をつかれたままで敗訴することに納得ができないのは当然である。私は、事件記録を精査した上で、当事者には、「相手方のこうこうこういう点は間違っていると思うし、嘘をついていると思う。しかし、あなたもこうこうこういう点については嘘をついていると思うし、少なくとも証拠上は認めることができない。」とし、当事者本人に直接厳しい言葉をぶつけることも多い。そして、その上で妥当と考える和解案をすすめるのである。当事者が感情的にひっかかっていて、納得ができなかった点について、「相手方の態度は良くない。相手方は嘘を言っている。」と認めてあげることにより、敗訴的な和解をすすめたにもかかわらず、当事者からは「裁判官はよく分かってくれた。自分は嘘をついていないが、和解については前向きに考えてみたいと思う。」と言っていただけることもある(もちろん、的外れのこともあったと思うが、幸いなことに和解を断られるだけで、的外れなことに気付かされたことは今までに一度もない。)。一度、当事者と信頼関係を築けることができれば、その後の条件交渉についても「裁判官が言うのならば」などと柔軟に応じていただけることが多い。
 長い裁判官生活の中で、和解に関して忘れられないエピソードが二つある。一つは、裁判官になって五年目の頃、ある程度時間をかけて和解手続を行ったにもかかわらず、どうにもこうにも話が進まず、あきらめて、当事者に来月に転勤する旨を伝えたところ、「裁判官が転勤するならば和解します」と言っていただき、その場で和解ができたことであり、もう一つは、交通事故による損害賠償請求訴訟で和解が成立した後に被害者である当事者から「裁判官の言葉を胸に明日から新しい人生を歩んでいきます」との手紙をいただいたことがある(それぞれ一度きりであるが)。そして、和解が成立したときに当事者から「ありがとうございました」という言葉とともに笑顔をもらえることは多い。このときの何ともいえない達成感を求め、私は、今日も、もがき、苦しみながら裁判を続けている。

(大阪高等裁判所判事)

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