一般2021年01月08日 音楽紀行(法苑192号) 法苑 執筆者:竹澤勝美

ワルシャワ市内でショパン博物館などを見て、翌日は、近郊の作曲家ゆかりの地を巡った。
作曲家の生家では、早朝から、日本のピアノの先生の一団とも遭遇して、久しぶりに聞く母国語が懐かしかった。
その後、数時間車に揺られ、ショパンが学生のころ夏休みに滞在していたという田舎にも足をのばした。
彼が、まだ平和だったころ、無邪気に楽しく過ごした様子を偲んだ。
他に訪れる人もない中、そこにある立派な館で青年が弾いてくれたのはショパンが生涯五〇曲以上も生み出した故郷の民俗舞踊曲マズルカ。
青年が序奏からいきなり両手をクロスさせたので驚いた。
ピアノの指使い(奏法)についてだ。
楽譜上今までただの左手による伴奏かと思っていた。真ん中の音が旋律であったか。
だから右手が割って入る。
「聖地」の佇いと不協和音の不思議な序奏で、さすがは本場だなどと、たちまちにしてマズルカ一三番に舞い上がった。
ところが数日後、ポーランドの古都クラクフの大教会。
通りすがりの人もOKとの貼り紙と低料金につられて、敬虔な人達に紛れてバッハとショパンを聴かせていただいた。ところが後者は音がうなりを上げてしまい、とても「ピアノの詩人」どころではなかった。
一方バッハのピアノ曲の方には音響の不調がなかった。何か作曲技法上の違いによるのか。楽匠(バッハ)には得意のフーガ(遁走曲)の技があったからか。
教会の天井や壁にぶつかって戻ってきた音も、遁走曲の時間差で追いかけてくる声部とみなしてそのハモリの技術を用いたらどうだろう。
バッハならそれくらい考えたかも知れない。彼が楽長をしていたライプツィヒの聖トーマス教会で前の週に聴いたカンタータの調べにはそう思わせるほどの清澄な響きがあったが…。
大教会を出ても、若きショパンも仰いだであろうヴァヴェル城の灯火に照らされた石畳を踏みしめながら空想は尽きなかった。
音が濁ったショパン。
しかし、一七、八世紀のバッハの音楽から一〇〇年も時代が下ると、音楽が扱う対象は、もはや神ではなく、裏も表もある人間だ。
くるくると気分も変わる。
伝統手法だけでは表現しきれない。
大胆な転調や不協和音、半音階(もっとも楽匠にも半音階的何々といった曲がある)などといった斬新な和声に基づくサロンを想定した音楽が、残響著しい、いや、むしろ響きこそ命とすらいえる大教会の壁にぶつかったら雑音が出て濁りくらいはしよう。
別に作曲家としての腕が悪いわけではない。
そう解決をつけて宿に這入った。
「ショパンは一般に誤解されている…」。
話しは飛ぶが、先ごろ、テレビでそう語ったのは、来日したある一流ピアニストだ。
世界的コンクールで優勝者より話題となった孤高の名手だ。
ショパンは、要するにサロン御用達の軟弱作曲家などではなく、感情に流されず理性的な人で、曲づくりも謙虚で、誇張をしないという。
まだまだ語りたいことがありそうだったが、とにかくそう説明した後弾いてくれたのはポロネーズ。
マズルカと同じ民俗舞踊曲だ。いずれも異国にあったショパンにとっては懐かしい母国語のようなものであったろう。名手によるとこのポロネーズ四番には曲中に作曲家の「回想」が見えかくれするという。
次に、テレビは、黙って、彼が詩人晩年の作であるノクターン一八番を弾き始める姿を映し出した。
むしろ、こちらの方が作曲家が曲におり込んだ回想が系統立ててはっきりと看て取れると思うがどうだろう。
インタビュアーがこのあたりも含めていろいろ質問、確認すべきだった。
可惜(あたら)、蘊奥を引き出しそびれた。
名手は、同じく回想をテーマとするこの二曲を対比して、ポロネーズはデッサン的に(未熟という意味ではない)、ノクターンは完成型としてそれぞれ把えて我々に示したのではないか。
一般にノクターンといえば断然二番が有名である。
非凡なこの曲は、実に二一歳時の作曲。ホモフォニー、つまり今も大変馴染みがある「旋律と伴奏」という形式だ。
ところが、後期ノクターンになると、そういった主従関係ではなく、複数の独立した旋律が絡み合い、一体となって一つの音楽を形成する、ルネサンス以来のポリフォニーが出てくる。
違った旋律を(同じ旋律でもズラして)二本束ねたら二声。
六本なら六声の曲だが、それくらいになるともう自分には分析困難だ。
ポリフォニーの各旋律(声部)同士をハモらせるための規律が対位法であり、結局前述のフーガの技法でもあろう。
いずれもバッハが画期をなす。
ただ美しい、悲しいの一本調子ではなく、複雑、重厚で飽きない(ホモフォニーとの優劣を論じているものではない。)。
古いともいえるが、声部相互の響き合いが倍音や干渉の影響などと相俟ってか全体的に聖なる雰囲気を醸し出したりする一方で、同時に、ある声部が訴求力をもって語りはじめたりもする。
このノクターン一八番など、そこまでの意味はともかくとして、新しい試みと伝統とがうまく折り合った作品であると思うのだが。
そんなことを考えながら、名手のピアノを聴いた。
A、B、Aの三部形式のこのノクターン一八番、まず、パリに住むショパンが、何かのきっかけでポーランドを思い出す。
そして、左手で歌われる故郷讃歌。
第二部では、翻って、故郷を出て名声を得るに至った来し方を、詩人が若干の自負も込めてこれまた回想しているように聴こえる。
ただ、この程度の過去や立志伝を歌うだけなら、本来作品としてさほどの感動でもない。
詩人には大国に蹂躙された祖国に残る親や姉妹、友人達がいる。
一斉蜂起に従軍し、亡くなった友人も。
自分だけ「芸術の都」で安穏としていていいのか。
憤りと自責、そしてあのマズルカの地、自分を暖かく寛容に育んでくれた祖国の命運や如何。曲の回想や讃歌の底流に、それらがみてとれるからこそ心をうつ。
第三部では、第一部(A)が再現され、やがて切なくなる。
そして故郷を讃えて左手が穏やかな旋律で歌っているうちに、右手も呼応し、感極まる。涙まで出てくるのは自分も一部同化しているからか。(いや勘違いだろうとは回りの声。)
とにかく感動的なポリフォニー。
ところが作曲家自身が情に流されることはない。
そのまま半音階的に下降し、はやくも感情の高揚は解決される。
主調に戻って、一番低いミから四オクターブも上昇進行してさらに高いソまで跳ね、作曲家のわだかまりが明るく解放される、すばやい場面転換の技。
名手は、次に、こうして具体例で詩人が作曲に施している「理性」を我々に知ってもらおうとしたのではないか。
蜂起の失敗に強く動揺した際に作曲されたともいわれる「革命のエチュード」(二一歳)の悲劇的直情には強いインパクトがある。
一方、人は、明るく振舞う相手の心の奥底に強い悲しみや絶望を見ることがある。
長調なのに悲しい。
ノクターン一八番の結びは、そちらのタイプである。
比較的抑制的に弾いてきた名手。いよいよこの孤独の微笑みという繊細な曲の最後の見せ場をどう結ぶか。
ここを疎かにしたら九仞の功を一簣に虧く。
テレビ画面には、彼の、切ない顔が映され、曲は繊細に閉じられた。
ゆっくり弾いても一〇分とかからないが、内容は濃い。
もっとも、楽譜を開き、ノクターン一八番をさらってみると、楽匠バッハの曲とよく似た音使いが出て来るようにも感じる。
詩人は日ごろバッハを好んで弾いていたらしい。尊敬していたともいわれる。
ちなみに、当時、一八番とセットでノクターンとしては生前最後に発表されたのが一七番である。
一八番よりさらにポリフォニー的だ。一七番の中間部(B)冒頭の音型は、バラードや幻想ポロネーズにも見出せなくもない。
ノクターン一七番(三七歳)では、このモチーフには左手の半音階的旋律が対置される。深みと含蓄のある和音(声)は、打鍵のたびに心に響く。
楽匠のポリフォニーのレジェンドに、運命や境遇を超えた、詩人の人間に対する何か絶対肯定的な色彩が巧まずして添えられた観がある。
終章では、トリルを用いて第一部が再現されるなど各所に円熟の自在のひらめきを見せる。やがて、遠い青春を呼び起こすかの、初夏の風に揺らぐ白い花を見るような、美しくはかない旋律反復で曲は静かに締めくくられる。
もちろん詩人の曲なら何でも回想と主張する訳ではない。
例えば「小犬のワルツ」は、文字通り小犬の戯れであろう。
しかし、彼の晩年の作でもあるし、速く弾いても、小犬を眺める目の先にどこか追憶と望郷が窺えるといった弾き方も面白いかも知れない。
この曲のラ、シ♭、ド、レ♭と通奏低音的に順次進行して右指を追う左指に意識すると、それが作曲家の珍しく上機嫌な鼻歌に聴こえてきたりする。
「雨だれ」や同じプレリュードの二曲前の一三番には回想があると思う。
前者は、A、B、Aパターンや、また、終局の明るくしかし哀しい曲の閉じ方など、ノクターン一八番とよく似ている。
それだけに雨や感情などが強くなるBの場面を、あまりガンガン叩くのはどうか。詩人が聴いていたら、たとえば、「これも私の独白なんだけどな」などといってがっかりするかも知れない。
後者それも名手の弾くプレリュード一三番は穏やかな回想が美しい。後半出だしのファ♯には細心の打鍵が必要とされよう。
弾き方によっては、作曲家の意図や心境が遠のいてゆく。
かといって、何の情感も込めないのも困る。バランスが難しい。
名手がモスクワ音楽院の学生当時教授をしていたヴェーラによると、ショパンを究めようとして(考えすぎて?)破滅してしまったピアニストは一人や二人ではないという。(ヴェーラ・ゴルノスターエヴァ著、岡本祥子訳「コンサートのあとの二時間」二〇五頁、ヤマハミュージックメディア発行、かっこ内筆省)
誰にでもこの作曲家を理解できるかに思えるのは錯覚だという。
ましてこのころは冷戦時代、音楽に対しても国家的統制は厳しかったそうだ。それだけでも相当なストレスだ。
亡命した人もいる。そういう人達が、同じく祖国を「捨て」たショパンを弾く凄み。
東西続一で、自由な出国が許されるようになると、ヴェーラは日本にもやって来て、レッスンをテレビ公開した。
当時毎週見ていたが、例えばワルツ七番だと、その本質を「驚くべき心のやさしさ」だと指摘していた。
作曲家が体験を自分自身に物語っているともいう。
したがってこの曲にも前述した「回想」がある。
もっともショパン理解が「錯覚」だとなると、これ以上半可通な素人解釈や主張はやめておこう。
ロシアピアニズムというのか、ピアノ奏法に関するロシア楽派は、何派かあるが、総じて、音色や芯の通った音の厚み、響きを重んじるところなどいろいろ特徴があるらしい。
このごろは、ヴェーラやその先輩リヒテル、そして名手など、自分の親近感を一筋の系譜でたどることができ、結局彼らの信奉するネイガウスという一派の流祖に帰着すると知った。
バッハを好んで弾く人達でもあるようだし、ソ連の国情下でも、当局とは微妙に距離を置いた人達のようにもみえる。
ネイガウスは、一般にショパンがポリフォニーであることを忘れがちであるとして、生徒には、ショパンの内声部や隠れた旋律を見逃さないようにと特に指導していたらしい。
自分が小犬のワルツで「発見」した「鼻歌」とは比べものにならない高尚なポリフォニーであろう。
今は彼の半世紀以上も前の限られた録音からそのポリフォニーに耳を欹(そばだ)てるのみである。
ピアニストの好みなどと生意気をいっても、あの公開レッスン以来、ネイガウスの教え子であるヴェーラ先生に無意識に導かれていただけだったようだ。
以前コンクール映像で衝撃をうけたブーニンが流祖の孫であったことも知った。
閑話休題、楽匠と詩人とは次の意味でも対照的であると思う。
バッハ研究家としても偉大な、また、オルガニストでもあるあのシユヴァイツァー博士によると、楽匠が、かりに全く違った人生を歩んだとしても、曲は今あるものと全く同じだろうという。(同著、浅井真男、内垣啓一、杉山好訳「バッハ」上二三頁、白水社)
一方、詩人が、もしポーランドを出ることなく、祖国に動乱もなかったとしたら、今の彼の音楽はあるまい。
そのような意味で、詩人が個性的だとしたら、当然楽匠は、博士もいうように「超個性的」(前掲書同頁)だということになる。
常に神に向かって作曲していたわけでもないと思うのだが、確かに楽匠の曲は、生活感がない。
とりわけ晩年の「フーガの技法」や「三声のリチュルカーレ」など、観念的であるともいえる。
後者は「音楽の捧げもの」として世に名高い。この曲は、楽匠がフリードリッヒ二世に請われて行なった即興演奏をまとめたものだ。門をくぐって王の待つ宮殿を遥かに仰ぎ見る「老バッハ」。実際のところはどのような思いで向かって行ったものであろうか。
突然「音楽紀行」に戻るが、ポツダムのサンスーシー宮でそう思った。誇らしさか、野心か。
それでいて彼の逸話となるとその他にも沢山のご馳走にあずかったとか、ワインを何本空けたなど、作品とは違い具体的で愉快つまり人間的なものが多いという不思議、パラドックス。
楽匠の生まれ故郷アイゼナハでのこと。
昼下りの街中をひと回りして宿に戻り、つまみを注文したら、二食分はありそうなパンとバターまで当然のようにドンと出て来た。
楽匠は、終生、出身地を誇りにしていたそうだが、この地には、昔から大らかな気風があったのではないか。
彼が一時職場としたワイマールのような都会とはまた違う感じだ。
夏の夕暮れ、すでに閉ざされていた砦のような教会の乾いた扉に耳をあて、パイプオルガンのフーガを探り聴きしたのは、楽匠が決定的影響をうけたルターの街ヴィッテンベルク。ドイツにおける「音楽紀行」の最終目的地。その響きは昨日のことのようだ。
そういえばロシア楽派のネイガウスも、バッハのポリフォニーには人間と宇宙、個と全体との最高の統合があるのだという(同著「ピアノ演奏芸術」一八四頁、森松皓子訳、音楽之友社)。
深すぎるが、そういうものなのであろう。
数えるほどしか曲を弾けない自分にも少なくとも統合された音楽全体としてのヨコの美しい流れは鑑賞できる。
そしてポリフォニーの、完全な安定、秩序とでも言おうか、素晴らしいタテの和音の響きも。
確かにその世界にはもはや争いか平和かといった二項対立は存在しないように思われる。
ポリフォニーの響きは教会というホール音響構造によって最高の荘厳さに彩られる。
教会自体が一つの大きな楽器だ。
一方、ピアノと真摯に向き合って思索し高度に洗練された形で少人数に提示された(時に耽美的、感情(傷)的とも誤解されがちな)詩人の望郷や回想の叙情。
しかしそれは、迫害下にある国民や鋭敏な人にとっては、侵略や、恣意に対する嫌忌を直感させるのか。
大戦中、この国民的作曲家の曲は、反ファシズム的であるとして、演奏が禁止されピアニストは苦労したとも聞く。
はたまた当局の統制下にあっても脈々と受け継がれた良心的ピアニズムの伝統等々。
艱難辛苦と芸術が「風格」をもたらすのか。写真の彼らは皆格好いい。
政治とは最も遠そうな軽やかなピアノが、その担い手に、「矜持」を問いかけてきたとは驚きである。
こんな話しにしても、ショパンの一般的なイメージとは相当違う。
そういえば前述の名手も、内戦の国の人だ。
それにしても自分に不都合となる音楽を見抜き選り分けた抑圧者達の芸術的センスも大したものである。
それほど神経を張りつめ、鋭い感性が必要とされるのか。
生家で詩人の人生に思いを馳せ、美しい森を楽しそうに散策していたあのピアノの先生達。
日本におけるショパンの人気は他国と比べても別格らしい。
存外それは甘い調べによる理由からばかりではないのかも知れない。
そして世の中の一切の営為から超然としてあったかのポリフォニー。
旋律の束から楽匠達のつぶやきが上手く聴き(弾き)分けられたりすると嬉しい。もっともそれが「神の声」(?)となると、聴こえた本人は大喜びでも、回りがいよいよ気は確かかと心配し出すことであろう。
(弁護士、元裁判官)
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